音楽は常に私たちの身近にあります。音楽とは「音を楽しむ」と書きます。文字通り私たちの五感の一つである「聴覚」は、「音」を聴き分けることができます。それはこの地球上の動物園であれば共通して持つ能力なのですが、私たちが他の動物と比較して圧倒的に優れているのは「心」です。感性です。聴いた音、その場を満たす音から何かを感じることができるのです。そう、芸術は私たちひとりひとりが「感性」を持つから成立するものなのです。
音楽は時の流れとともにあります。音楽は時間を切り取った芸術といえるものです。私たちが音楽を楽しむということは、自らが持つ「生涯」の中からその音楽に時間を捧げるということに等しいのです。一区切りの音楽を「曲」と呼びます。私たちはそれぞれ、さまざまな感性を持っています。その感性が音楽のタイプに対するさまざまな好みを生み出します。音楽は理論的でいて、しかしながら「自由」です。音に定められたある程度の法則はあるものの、自由に時を刻み、自由にその空間を彩ることができるのです。音楽の作り手 、または演奏者とリスナーは、その音楽が流れている間、同じタイムラインを共有するのです。
私たちが人でいる限り、感性を失わない限り、音楽はなくなりません。そして私たちが感性を捨てない限り、常に新しい音楽が生まれます。音楽のない世界を想像してみてください。この世の中にただ無秩序に、ただの「ノイズ」が溢れてしまったら、どうなるでしょうか。楽器がなくなり、音楽理論も成立されておらず、ただ自然に発声するノイズだけがこの世界を満たしたらどうなるでしょうか。
楽しむための音がなかったら、私たちの完成は退化していたでしょう。私たちから音楽が奪われていたとしたら、衰退するのは「文明」そのものなのではないでしょうか。「時間」を彩るさまざまな音色が消え、心を動かすさまざまな旋律、躍動するリズムが奪われてしまったら、私たちの暮らしは実に即物的なものになっていたでしょう。まさに「その日暮らし」になってしまうことでしょう。私たちは音楽を通じて「心」を磨いています。音楽を「創る」ことは時間を切り出しそこに小宇宙を形成することと同じなのです。録音すればその小宇宙は新たな次元として切りだされたものになり、私たちはいつでもそれを楽しむことができるようになります。
私たちの持つ時間は有限です。有限であるからこそ、限られた時間を少しでも彩りたいのです。充実したものにしたいのです。そのために「エンターテイメント」が存在するのですが、それは私たちが人生を豊かにするために潜在的に欲しているものなのです。音楽がなくても生きることはできます。ですが、音楽がなければ実につまらない世界になってしまいます。
音楽を楽しむことは時間を楽しむことです。時間を楽しむことは人生を楽しむことです。音楽は私たちに充実した時間をもたらすとともに、心を洗ってくれるものなのです。音楽とどう付き合うかは人の自由ではあるのですが、音楽を聴かせるということは有限な人の生涯の中の貴重な時間を自分の曲に捧げてもらうということなのです。だから音楽は尊いのです。私たちが人でいる限り、無限の音楽があふれるのです。