「名器」と言われる楽器とは

「楽器」を演奏するということは音楽の根本的な表現方法です。それらの演奏が組み合わさること、つまり「合奏」をアンサンブルと呼びます。楽器を奏でるためには当然ながらその「楽器」が必要です。「楽器」は人の手によって作られた音楽を奏でるための道具です。人が「作る」以上、演奏者にとって、またその演奏を聴く人にとって「良し悪し」が生まれることは当然です。

良い演奏ができていい音色がするものが「良い楽器」です。同じバイオリンでも演奏者、また楽器そのものが違えば全然違った音色になります。「良い楽器」とは、いい演奏者によって奏でられて初めて真価を発揮します。それでは、「良い楽器」とはどのようなものを指すのでしょうか。音楽を体系的に表したものが「スコア」です。スコア上ではその楽器の音色までは指定できません。指定できるのは「このパートはこの楽器で奏でること」ということくらいです。「強く奏でる」とか「優しく奏でる」という指示はある程度書けるものの、それでも演奏者の技量に依存する部分の方が多いでしょう。ましてや「楽器の種類」は指定できてもその楽器の「良し悪し」までは指定できないということもあります。同じ旋律を再現することは安い楽器でも高い楽器でも可能なのです。

楽器の良し悪しは、実は「相対的」なものです。何かと比べて良いか悪いかということでしかありません。他の楽器と比べて「良い音」と多くの人が感じるものが「良い楽器」なのです。それらの相対的な経験が積み重なり、「良い楽器の条件」のようなものが体系がたてられているのです。楽器が世の中に存在するということは、「楽器を作る人」がいるということです。楽器を作る人はその道を歩む人であり、人間である限り「試行錯誤」するものです。その目的は「いい音を発する楽器」を作るということであり、世の中に「いい音」を届けたいというものになります。そのような人がいる限り、楽器の音は練磨を続けることになります。

また、世の中の「流れ」というものもあります。人がどのような音を「良い音」と感じるのかは時代によってことなります。それはある意味世の中に流れている「音楽」と共にあります。楽器だけが進化しても意味がなく、それを用いて奏でられる音楽があってはじめて意味を成すものになるのです。音楽は実に豊かです。無限の可能性も秘めています。ですがそれは楽器を作る人がその楽器にこめた思いと、楽器を演奏する人の思い、そしてそのアンサンブルを組み立てた作曲者の思いが積み重なって現れたものなのです。音楽は一人ではかなでることができないものです。すべては人のつながり、そして人が創るものであるのです。

「名器」と呼ばれる楽器は誰もが名器と認めてはじめて意味を成します。どのような音がいいのか、どのような演奏方法がいいのかは時代によって異なります。さまざまな音楽ジャンルの中で、さまざまな名器があります。それらの楽器はすべて人が作ったものであり、人に聴かせるために存在するものなのです。音楽を考えるときに「楽器」は欠かせない要素です。名器に名演奏者、そして偉大な曲が存在してはじめて私たちは感動します。ですが、感動する「対象」は人それぞれであるから「面白い」のです。

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