音楽と映像

エンターテイメントには音楽が欠かせませんが、音楽だけがエンターテイメントでもありません。私たちが「何かを楽しむ」際には、「目と耳」、そして五感を使って楽しむものです。音楽は間違いなく私たちに必要なものですが、音楽さえあれば映画も見なくていい、テレビも必要ないという考えには至らないのではないでしょうか。音楽が唯一のエンターテイメントというわけではないのです。

私たちには物音を聴くための「耳」のほかにも、周囲の状況を確認するための「目」もあります。目で楽しむということも、必要なのです。目が見えて聴こえるということは当たり前のことだと思われるかもしれません。世の中の動物のほとんどが目で見て耳で聴くことができます。ですが私たちがそれら他の動物と違うのは「感性がある」ということです。「感性」が、見ることや聴くことをエンターテイメントに昇華させるのです。

私たちはこの現実世界を五感を使って認識しています。爽やかな朝、晴れた空に囀る鳥・・・・これだけでも視覚と聴覚、そして肌の感覚を使ってその状況を感じていることになります。例えば映像作品でそのような「爽やかな朝」を再現したい場合、鳥の囀りを収録しないわけにはいきません。ですが、それだけでは見ている人に「爽やか」と伝えきれないかもしれません。映像では目と耳にしか訴えかけることができないからです。そこで、「音楽」の登場となるのです。視覚でもBGMでも「爽やか」であれば、その映像作品を見ている人により爽やかさを強調することができます。

実際の「爽やかな朝」、現実の朝では、そのような爽やかな音楽は流れていないのですが、映像作品においてはそのようなBGMを使用することでより完成度が高いものになることは間違いありません。現実は自分の視点で見るしかないのですが、映像作品ではさまざまなカメラワークでその物事を捉えることができます。雨音や風の音がメロディを発しないのと同じで、映像作品においても「創る」ことができるのです。そしてそれは同時に流す「音楽」と相まってより世界観を強調することが出来るのです。

また、映像を強調するための音楽ではなく、「音楽を強調するための映像」という捉え方もできます。先の音楽があって、あとから映像をつける場合です。そのような作品も私たちはよく知っています。ミュージックビデオなどがまさにそれです。さらには、アーティストのコンサート映像なども該当します。私たちはこれまでも自然と映像と音楽の融合した作品を楽しんできたのです。耳で聴き、目で楽しむということは特別なことではなく、いつも自然に触れてきたものなのです。

映像に対する音楽の付け方、音楽に対して映像を足す方法、さまざまありますが、私たちはそれを当たり前のように日頃から楽しんでいるのです。画面とスピーカーを通じて、現実には目の当たりに出来ないようなスペクタクルを垣間見たり、お気に入りの俳優の演技を堪能したりしているのです。あまりにも自然に音楽が使われているので、深く考えることなどはないかもしれませんが、それらの映像作品から音楽が欠けてしまえば、それは実につまらない作品になってしまうのです。

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