現代音楽とは

「現代音楽」はあまり聞くことのない言葉かもしれません。クラシック音楽に対比された言葉であることは間違いないのですが、それは単純に「今の時代に作られた音楽」という枠組みだけではありません。正確には「ポピュラー音楽ではない現代の音楽」と解釈してもいいかもしれません。

現代音楽は音楽の理論的にとても洗練されたものであったり、時には独創的な試みがなされていたりするものです。あまり馴染みのあるものでもなく、その「道」を理解できる人が好んで聴くものかもしれません。私たちが最も馴染んでいる四拍子、或いは三拍子では、どうしても「ワンツースリーフォー」のサイクルや「ワンツースリー」のサイクルから脱することができません。そして私たちが馴染んでいる「キー」の縛りは、どうしても組み合わせに限界があったり、馴染んだコード進行から脱することができなかったりするものです。そこにサウンドやメロディーが重なるわけですから、実質は「無限」のバリエーションがあるのが「音楽」なのですが、それら拍子やキーの「枠」を超越しようとする試みが現代音楽にはあります。

現代音楽といっても、「クラシック」ではないというだけです。その試みの歴史は長く、「現代」とはいつまでかという疑問にも通じます。「現代」とは「近代」です。「近代」とは世界が工業化し、記録などが明確に残され始めた時期からを指します。工業化は楽器に新しい息吹きを与えました。楽器に「通電させる」という試みは多方面において見事に成功し、それまで得られなかったサウンドや奏法、アンサンブルなどが次々と編み出されていったのです。クラシック音楽と現在のポピュラー音楽の間にはさまざまな通過点がありましたが、ひとつは「楽器」に電気を用いて、単体でも大きな音を発することができたり、また音楽を録音出来たりするようになったことが挙げられます。

それらの過程では、当然クラシック音楽を電子楽器で奏でたりするような取り組みもありましたし、新しい楽器に合わせた新しいアプローチも沢山ありました。それらのメインストリームが現代のポピュラー音楽ですが、そうではない「枝葉」の音楽においても芸術性の高いものはそのまま記録され、独自の発展を遂げ、音楽理論の再解釈や破壊とともに新しい境地へ達したのです。

それらの現代音楽は、ポピュラー音楽しか聴かない方にとってはなかなか不可解なものであることも多いものですが、音楽を少しでも勉強していた人にとっては斬新なアプローチ方法であったり、そこから学ぶことも多いようなものです。「理解する」ということがまず大変である現代音楽は、聴くだけで疲れてしまうかもしれませんが、人の音楽に対する「探求」の結果として、あらためて向き直ってみると、新しい発見がどんどんあるものです。現代音楽は最初とっつきづらいものであるかもしれませんが、音楽のイノベーションを目指したものばかりです。普段からポピュラー音楽になれてしまった私たちに対して、「音楽の無限の可能性」を示してくれるものでもあります。現代音楽を通じて「音楽の可能性」を改めて感じるとともに、「創作には限界がない」ということが実感できるのではないでしょうか。

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