最高の音楽とは

人によって「好み」が違います。10年前の音源をずっと聴き続ける人もいれば、最新のサウンドにしか興味がない人もいます。人によって「最良の音楽」は違うのです。ですから、万人にとって「最高」というものは存在しません。ある音楽を「嫌い」という人もいれば、「好き」という人もいるのです。

ですが、音楽には確実に「良し悪し」があります。それはある意味音楽を創る人間の間だけの「不文律」であるかもしれません。しかもその不文律は時代と共に変わるのです。ですが、「演奏の上手い下手」は一般リスナーでもわかるものです。それても、「上手いと思うけど好きになれない」ということはあるものです。それが音楽の不思議な部分であり、崇高な部分でもあります。決して「技術」だけでは評価できないのです。プロのオーケストラの演奏よりも、路肩で奏でられるシンプルな演奏を好む人もいます。フルオーケストラの演奏よりも、ギター一本で奏でられたシンプルな音楽を好む人もいるのです。その人にとってはそれが「最高の音楽」なのです。

時代は私たちに「好きな音楽を好きなように聴ける」環境を与えてくれています。好きな系統の音楽だけを探すことも、いとも簡単にできるのです。私たちは音楽を通じてさまざまなカタルシスを得ます。それは人によって違うものです。疲れた心を癒したいという場合もあれば、気分を高揚させたい場合もあるでしょう。さまざまな音楽の楽しみ方があり、さまざまな捉え方があります。一曲をずっと聴き続けることもあれば、豊富なライブラリからランダムで再生することもあります。どのような楽しみ方をしたとしても、音楽は音楽であり、その人にとって「最良」のものであるのです。

沢山の人が聴く音楽は確かにそこにあります。ですが、誰も聴かない、たった一人の人だけが愛する音楽もあります。そのような音楽も、その人にとっては「最高の音楽」なのですから、「有名でない」というだけで「否定」することはできません。そこに聴く人が存在する以上、それは音楽なのです。そしてその音楽を創る人は「芸術家」なのです。音楽が音楽でありつづけるためには、音楽を音楽として認めることが必要なのです。

計算され、誰もが認め、世界の人が残らず愛するような音楽がもしかしたら存在するのかもしれません。その音楽さえあれば、他には音楽はいらないというような奇跡の一曲も生まれるのかもしれません。ですが、少なくとも現在までにはそのような魔法の音楽は生まれて来ませんでした。なぜなら、次々に新しい音楽が生まれているからです。音楽が生まれ続ける以上、私たちの誰かがその状態に満足していないということになります。満足していないから、新しい音楽が生まれるのです。

「創る」ということは崇高なものです。それまで存在していなかった旋律を、新しく生み出すということは世界を創ることに匹敵します。そのようにして作られた世界を、私たちはそれぞれ思い思いに楽しんでいるということです。音楽が音楽であるのは、聴く人がいるからです。「もう音楽はいらない」という時代は、私たちが人間である以上来ないでしょう。音楽が音楽であり続けるのは、私たちが感性を失わない限り永遠なのです。

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