さまざまな楽器

音楽を奏でるためには「音が出るもの」が必要です。それら音の出るものを奏でることを「演奏」といいます。音楽を音楽として人の耳に聴こえるように表現するためには「演奏」することが必要です。当たり前のことですが、演奏しなければ「無音」です。「無音」であればなにも聴こえないのです。何も聴こえなければそれは「音楽」ではありません。

少し変わった考え方ですが、現代音楽では「演奏しない」ということも含めて「音楽」と捉えることがあります。ある決められた時間無音でいること、そしてそれを共有することでその「時間」を「無音の音楽」と捉えるのです。そのようなものは稀であり、基本的には「音楽」ではありません。私たちが「音楽」と捉えることの出来る状態は「楽器」によって何かが奏でられている時です。「楽器」があるから音楽があるといっても過言ではなく、どのような楽器をどのように奏でるかということで、その音楽は定義付けられ、体系化された音の塊となって、タイムラインにのって私たちの耳に届くのです。

音楽は「一瞬」の積み重なりです。「時間」はすべての人類が共有しているものです。常に時間は流れていて、音楽はその時間の中でさまざまな区切られ方をし、さまざまな音で繰り出すものです。それらの音楽を「演奏すること」自体が音楽を世の中に創りだすことであり、音楽活動の根本でもあります。そして、古来から練磨されてきたさまざまな楽器、そしてさまざまな演奏方法が、私たちの耳に無限のサウンドを届けるのです。

それらの楽器がどのように演奏したらいいかを定めるのが「作曲」です。あらかじめどのような音をどのように奏でるのかということを決めておき、「スコア」つまり「楽譜」に落とし込んだり、別の形で演奏者の共通理解を得ておくことが、「作曲」です。アンサンブルであれば、さまざまな演奏者が同時にひとつの音楽を創るものです。ひとつの曲は作曲者が体系だてたものです。ですから、この枠組の中でその音楽を再現することが演奏者の役割であり、求められることなのです。

そのようにして演奏されたものは、時にはリアルタイムでその場で聴いたり、何かの記録媒体に「録音」され、私たちの耳に届くことになります。「音楽を聴く」ということは「楽器の演奏を聴く」ということです。その楽器の中でももっともユニークで同じものがふたつとないものが「歌」です。人が自らの生体を駆使して言葉と共に奏でる「歌」は、もっとも情緒的であり、わかりやすい表現方法としてアンサンブルの主軸となることが多いのです。「歌手」と呼ばれる人たちもある意味では演奏者と同じなのですが、「歌声」のすばらしさや存在感などが相まって、現代のポピュラー音楽では「アーティスト」と呼ばれ、大衆に好まれるようになっています。現在の音楽ビジネスの主力はこの「歌」を含んだアンサンブルであり、付加価値と共にさまざまな「アーティスト」がさまざまな歌を歌っています。ですが、「伴奏」がなければ独唱になってしまい、そのようなスタイルで成立するような音楽は少ないことから、「楽器」によるアンサンブルは決して軽んじてはいけない要素でもあります。

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