音楽と向き合うために必要なこととは

音楽には形がないのです。ただ、目には見えなくても確実にそこにあるものが音楽です。目には見えないけれど耳には確実に聴こえ、私たちの感覚に訴えてくるものなのです。それらの音楽をどのように聴くかは私たち次第です。

具体的には、「音楽に対してどう考えているか」ということなのです。純粋に音楽を聴くことが好きな音楽ファンは、いい音でいい音楽を聴き続けたいと考えるかもしれません。自分の好きな音楽を自分の好きな音響機器で、飽くことなく聴き続けたいと考えるかもしれません。そのような人は自分の音楽再生環境、リスニング環境を深く考えることでしょう。それを支えるための産業が存在しています。「良い音」を探求し続ける音響機器メーカーは、常に良いサウンドを追求し、新しい再生機器やリスニング環境を私たちに提案し続けているのです。それらの機器から自分にあったものを選び、毎日良い音で音楽を楽しむことが出来るのです。それも「音楽との向き合い方」の、ひとつのカタチです。

また、違う側面を考えると「音楽を創りたい」という人もさまざまな音楽を聴くことと思います。そのような人は音楽をより深い部分で捉えるものです。「どのようにしたら良いアンサンブルが実現できるか」、「どのようにしたら良いサウンドが得られるのか」ということをずっと考えるわけです。そのような取り組みの中では、すべての音楽が「サンプル」と化し、自分の創作活動のためのどのように「糧」にするのかということを考えることでしょう。そのような人たちにとって世の中のすべての音楽は「教科書」であり「ライバル」でもあるわけです。自分の音楽をより良くするためのお手本であり、「超えてみせる」という張り合いの対象になるわけです。そのような音楽に対するスタンスも間違いないものです。

音楽に対してどのように考え、音楽に対してどのように向き合うのかということはその人の自由なのです。音楽に天井はなく、技術に天井はありません。ましてやその創作性にも限界はなく、無限の可能性からたどりついたひとつのカタチが、今私たちの耳に届く音楽なのです。それがどのようなものであっても、その人が創りだしたひとつの終着点であり、ひとつの「答え」なのです。

なにかを具現化するということは多大なパワーを必要とします。そのパワーは物理的なものではなく、音楽を「創る」という行為や「演奏する」という行為の積み重ねであり、「楽器」がそこにあるからでもあります。音楽を作ることの出る環境がそこにあるから、私たちは音楽を聴くこともできるし、作ることも出来るのです。

創作するということは、それがなんであれ自分の想いや感情を具現化することでもあります。私たちは音楽を通じてさまざまなことを得ます。感動させられたり、逆に「人を感動させよう」と試みることも出来るのです。音楽のクオリティもさまざまですが、まちがいないのは唯一無二のサウンド、存在をそこに表現できるということなのです。自分がそこにいた証、自分がそこで何を考えていたのか、感じていたのかを残せるということ、それが音楽を創る人間が音楽に求めていることなのかもしれません。それをどう楽しむかはリスナーひとりひとりの自由なのです。

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