「音色」とは何か

音楽は私たちの耳に届いて、聴こえてきて初めて意味を成します。聴こえない音楽は「存在していない」ということです。ただ音符でメロディを書き記しても、それは音楽の記録のひとつのカタチであって、そのままその楽譜を見て音楽を楽しめる人などはごく少数なのです。

ですから、音楽は空気を震わせて初めて、私たちの耳に届いて初めて意味が出ます。私たちの耳に届いているということは、そこに「音色」があるのです。「音」はすべてさまざまなカタチを持っています。人の声も千差万別ですし、打楽器から弦楽器、鍵盤楽器からシンセサイザーまで、ありとあらゆる音色が世の中には存在しています、その種類はまさに無限です。無限の音色のなかから、その曲、そのアンサンブルにあった音色を選び出し、または作り出し、ひとつの音楽を構成させ、私たちの耳に届けられているのです。

音楽の含む要素は実に多岐に渡ります。音色を発する「楽器」もさまざまな種類がありますし、さらには同じ楽器の中でも個体差があります。そして演奏方法などによってもサウンドは変わりますし、奏者が違っても変わるのです。そのような無限の選択肢のなかから、ただひとつそこに再現された音色が積み重なって、ひとつの音楽を作っています。その音楽が成立するためにはそのサウンドがなければいけないのかもしれないのです。または別のサウンドが加わることで、新たな進化を遂げるのかもしれません。

音楽は「可能性」を切り出したひとつの答えなのです。どのようなメロディーでも考えることが出来るのです。どのような演奏を、どのようなサウンドでも行えるのです。その中からそこに表現された「その」演奏、「その」サウンド、「その」音色が、強烈なオリジナリティであるのです。私たちの耳に届いているその音色は、無限に広がる音楽の宇宙の中から唯一そこに再現された「意味のある」ものであるのです。

ですから、音楽を「作る」際には、その無限の可能性から何かを具現化させる際には「意味」が必要です。どのような意図でそのサウンド、そのメロディなのかということを、作った本人、演奏している本人がわかっている必要があるのです。アンサンブルのなかでそれはどのような存在であるのかを、しっかりと位置づけておきましょう。何でもやりたい放題の音楽ですから、そこに「意味」がなければ説得力のないものになってしまうのです。音楽の無限の可能性の中から、「これしかない」と思えるような選択肢、その「これしかない」という部分が、「ひとの心を打つ」ものであるのかもしれません。その音楽の「核」になるのかもしれません。

「音色」は目には見えません。ただ、確かに「聴こえる」ものなのです。そこに音楽がある限り、どのようなものであれ「音色」はあります。その音色のひとつひとつに意味を持たせることができるかどうか、聴いた人にどのように感じ取ってもらえるか、「その音色しかない」という選択ができているかどうかが、音楽のクオリティを左右する要素であるのです。音楽を作ることは、そのとき「鳴っている音」すべてに責任を持つということです。その音色がその音楽にとって必要な理由を、考えてみましょう。

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