ポピュラー音楽とは

音楽は自由です。この世界では日々さまざまな音楽が生まれては流行し、そして消えていきます。音楽がまるでファッションアイテムのように扱われ、テレビやラジオを賑わす存在の「アーティスト」はタレントやアイドルのように「賞味期限」が短く、5年も経てば新しいアーティストが生まれ、飽きられてしまったアーティストは消えていくのです。

ポピュラー音楽は「誰もが親しむ音楽」です。「誰もが親しむ」ということは、「誰もがお金を払う」ということでもあります。要するに「売れる」ということです。音楽を販売することで成立するビジネスでは、曲やアンサンブルは簡単に用意できるものとして、それを歌ったり演奏したりする「存在」を売っています。そしてその存在に対して私たちは「夢」を感じ、対価を支払っても良いと考えるのです。

現代の私たちの生活の中で、聞こえてくるほとんどの音楽はポピュラー音楽です。テレビやラジオ、そしてインターネットでも聴くことのできる音楽の大半が、私たちに「売る」ために作られた音楽です。そのサウンドは私たちの耳に聴こえやすくなっていて、それらの音楽を歌ったり演奏したりする人間は容姿端麗でいくら見ても飽きない、というような存在であることがほとんどです。特定のジャンルに特化して深くその音楽を聴きこむディープな音楽ファンもいますが、それでもそれらの人が好むような音楽はメディアを賑わすことはあまりなく、無難で大衆的な、誰が聴いてもいいような音楽が世の中に蔓延しているのです。

どのような音楽も否定することは出来ないのですが、ポピュラー音楽の中には「アーティスト」といわれる人が「自分で演奏していない」ような場合も多々見られます。例えば「バンド」として売りだしていたとしても、そのメンバーが演奏していないということも多々あるのです。スタジオミュージシャンが録音したものを口パクでテレビで歌う、口パクですから「歌うフリ」なのです。そのようにまさに「作られた音楽」が定期的にメディアを通り過ぎ、本当に音楽のチカラを持った人間は影の側に回っているのです。

そのような取り扱い方をされてきたアーティスト本人も、賞味期限が過ぎればそれまでです。ただ口パクしかしていなかった、そして演奏しているフリをしていただけですから、その人自身は音楽のことを何も知りません。そのような人はその先自分では何もできない「元音楽人」となってしまうのです。ホピュラー音楽ではこのように売るためならば何でもアリ、ということです。まさに作られ、私たちが親しめるように仕組まれたものなのです。そこにはビジネス的に成功するための方法論などはあるのでしょうが、どうしても「芸術としての音楽」を感じることができません。作られた音、誰もが親しむとわかっている音だけが世の中に溢れ、自ら「探求しよう」と考えなければただ「浅い」無難な音楽しか流れてこないのです。それがポピュラー音楽であり、すなわち「ショービシネス」のための音楽なのです。そのような音楽だけしかないわけではないのですが、現在のアジア圏では特に極端になってしまっているような気がするのです。本当に音楽を探求するためには、自分で「探す」しかありません。

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